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東京地方裁判所 昭和60年(刑わ)865号 判決

主文

本件は管轄違。

理由

本件公訴事実は、「被告人は、昭和五八年六月四日午後三時一〇分ころ、東京都港区赤坂四丁目一四番八号先の登り坂道路を一ツ木通り方面からコロンビア本社方面に向かい重量約一六四キログラムの自動二輪車を両手で押して惰力をつけながら登るに当たり、当時、進路前方約二・七メートルの地点にA子(当時七九年)が佇立しているのを認め、同人の側方を通行しようとしたが、同所は歩・車道の区別のない幅員約二・八五メートルの狭隘な道路であった上、勾配一〇〇分の一六の急な登り坂であったから、このような場合惰力によって、右自動二輪車あるいは自己の身体が、右A子に接触する危険のあることが予測されたから警音器を吹鳴して自己の接近を知らせるはもとより、右A子の動静を注視し、同人との間に安全な間隔を保持し、同人と接触しないよう安全を確認して進行するか又は同人の手前で一たん停止し、同人の避譲を待って進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、警音器を一回吹鳴したのみで、同人との間に安全な間隔をとらず、同人との安全を確認することなく、漫然時速約七キロメートルで同人の直近を進行した重大な過失により、自己の身体の左側を右A子に接触させて同人をその場に転倒させ、よって同人に加療約六か月間を要する左大腿骨頸部骨折の傷害を負わせたものである。」というものである。

被告人の当公判廷における供述、被告人の司法警察員(三通)及び検察官に対する各供述調書、証人A子の当公判廷における供述、A子の検察官に対する供述調書、捜査報告書、写真撮影報告書二通、実況見分調書六通、「仕様諸元」と題する書面謄本、診断書及び病状照会回答書によると、被告人は、昭和五八年六月四日午後三時一〇分ころ、東京都港区赤坂四丁目一四番八号先の登り坂道路を一ツ木通り方面からコロンビア本社方面に向かい、乾燥重量一六四キログラム、全長二・〇四五メートル、全幅〇・七三〇メートル、全高一・一一〇メートル、総排気量〇・二四九リットルの自動二輪車を右側にして、エンジンを停止させた状態でそのハンドルを両手で押し、相当の力を込めて惰力をつけ、右道路を登っていたこと、同所は、両側に住宅の立ち並ぶ歩車道の区別のない幅員約二・八五メートルのアスファルト舗装された狭い道路で、勾配が一〇〇分の一六程あって、急な登り坂となっており、道路左側には当時貨物自動車が一ツ木通り方面に向いて駐車しており、道路の通行しうる範囲が一メートル程により狭くなっていたこと、被告人は、惰力をつけながら自動二輪車を押して、右貨物自動車の側方を通過し終えようとした直前、右自動車の後方で自己の左前方約二・七メートルの地点に佇立していたA子(当時七八歳、但し被告人は当公判廷でこのとき同女が老人であることを気付かなかったと供述している)を発見したが、警音器を一回吹鳴したのみで同女を十分に注視しないまま、同女の直近を毎時約七キロメートルの速度で通過しようとしたため、右警音に気付かず、被告人の接近を認識していなかった同女が、一歩被告人に近づき、被告人と接触して転倒し、その結果加療約六か月間を要する左大腿骨頸部骨折の傷害を負ったことが認められる。

なお、被告人は当公判廷において被害者と接触した事実はない旨供述しているが、この供述は被害者と接触したとする被告人の前掲各供述調書と食い違ううえ、被害者が転倒した当時被害者の直近には被告人しかおらず、被害者が自ら転倒したとは考えにくい状況にあり、さらに本件捜査時における被告人の言動などに照らすと、この点に関する被告人の右各供述調書の信用性は高く、被告人の右公判供述は信用できない。

ところで前示のように、急な登り坂の狭い道路で、しかも相当に重量のある自動二輪車を押し上げて歩行している被告人が、前方に佇立している人の直近を通行しようとするときには、その者の動き如何で同人と接触して転倒させるなどし、その身体に危害を加える可能性も予想されるのであるから、同人の動静を注視し、適宜停止ないしは同人との間に安全な間隔を保持するなどして進行すべき注意義務があるのであって、これを怠り、被害者を十分に注視せず、単に警音器を一回吹鳴させただけで、漫然被害者の直近を通過しようとした被告人には、被害者の負った前示傷害に対する過失責任を免れないというべきである。しかしながら、前示の道路状況などに照らすと、被害者が被告人と接触して傷害までをも負うに至ることを、被告人が容易に予想しえたとまでは断じがたく、被告人の右過失が重大な過失とは評価しえないのであり、したがって、被告人の右所為が刑法二〇九条一項の罪を構成することはあっても、同法二一一条後段の罪を構成することはないというべきである。

してみると、被告人の本件所為は罰金以下の刑にあたる罪であって、これは簡易裁判所の専属管轄に属し、当地方裁判所の管轄に属しないから、刑事訴訟法三二九条本文により、本件について管轄違の言渡をすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 髙梨雅夫)

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